古書ますく堂のなまけもの日記

古書ますく堂の日記(大阪市阿倍野区共立通1-4-26に移転しました)お休みなどの告知はここにてお知らせします。

ポエカフェ その名はポール・エリュアール

1985年12月14日、本日の詩人ポール・エリュアール(以下 エリュ君とします)がサン=ドニ市にて誕生。父は会計係。

1900年5歳 父は貯金をはたいてサン=ドニ周辺の土地を購入。これが急騰して巨額の利益エル。パリ郊外で不動産屋を営むようになる。ますく堂は貯金のちの字もないからそんなこと夢にも思わない・・・

1908年13歳 エリュ君はクリニャンクール通りの公立小学校に通う。

17歳の頃、結核によりスイス郊外のサナトリウムに入院滞在。

エリュ君がガラと呼ぶロシア人の少女(レナ・ドミトロヴニェ・デイアコノヴァ)と知り合い、交際。結婚を考えるようになる。2人は何語で会話してたんでしょうね。

1913年 処女詩集「初期詩篇」を自費出版。エリュ君は結核以後、独学したんですねぇ、大学まで行って数学もできん私とはどえりゃー違いやて。

1914年19歳 結核が全快し退院。2人の結婚は母の反対で延期。第一次世界大戦始まり

エリュ君も召集される。

1916年21歳 8月アルジクールの第18野戦病院看護兵として勤務中、詩の小冊子「義務」17部作成。これ、読みたいですねぇ。12月エリュ君は歩兵に志願転属。チューリッヒでトリスタン・ツアラが「アンチピリーヌ氏の最初の天上的冒険」を刊行。

1917年22歳 2月パリでガラと結婚。3月急性気管支炎で後方送還。5月再発してパリで入院。以後、予備役。7月チューリッヒに「ダダ」第一集創刊。

詩集「義務と不安」刊行。十月革命

1918年23歳 娘セシル誕生。「平和のための詩」刊行。この詩集がジャン・ポーランの興味を惹く。

1919年24歳 ポーランがアラゴンプルトン、スーポーらにエリュ君を紹介。「文学」誌創刊。

1920年25歳 詩集「動物たちとその人間たち、人間たちとその動物たち」刊行。エリュの編集する雑誌「ことわざ」刊行。翌年、詩集「人生の必要事項と夢の諸結果」刊行。なんだか詩集のタイトルが妙に気になって仕方ない・・・

1922年27歳 詩集「復習」刊行。散文詩集「不死の者等の不幸」をマックス・エルンストと共著出版。10月「睡眠の時代」開始。自動記述や催眠による夢の記録に詩人たちが熱中する。

1924年29歳 当時、エリュ君が自分の「最後の本」であると考えていたプルトンへ捧げた詩集「死なぬことで死ぬ」刊行。29歳でもう、最後の本と考えていたとは・・・一体どのような心境でこうなったんだろうか。

1925年30歳 バンジャマン・ペレとの共著等刊行。

1926年31歳 エリュ君、共産党に入党。詩集「苦悩の首都」刊行。

散文詩集「ある人生の裏面あるいは人間のピラミッド」刊行。最後を決断してからもめっちゃ本出してるやん・・・事情がかわったんかな・・・

1928年33歳 詩集「知ることを禁ずる」刊行。

1929年34歳 ガラに捧げられた詩集「愛、詩」刊行。ガラとスペインに行き、会わせてはいかん人と再会させてしまう。その名はサルヴァドール・ダリ!ダリさんは女性恐怖症だったそうにゃ。でもガラさんには惹かれてしまったのだ・・・

ダリにガラをとられて意気消沈かと思いきや、この年、のちの妻となるヌーシュにエリュ君も会っている・・・という波乱万丈の年なのであった。

1930年「工事中徐行」「処女懐胎」など共著刊行。原題がわからんけどエリュ君の本のタイトルがさっきから面白すぎるのは気のせいなのか・・・なんやのん、工事中に徐行って・・・この年、ガラと離婚。

1932年37歳 詩集「直接のパリ」刊行。1933年38歳 ヒトラー内閣成立。

1934年39歳 エリュ君、ヌーシュさんと結婚したづら。詩集「公共の薔薇」刊行。

1935年40歳 「かんたんな」刊行。このタイトルで思い浮かぶのは神保町のかんたんむである。

1937年42歳 「詩的証明」刊行。ゲルニカ爆撃。

1938年43歳 詩集「自然な流れ」刊行。ハイペースですねぇ、毎年のように詩集をだしてますエリュ君、プルトンと決裂。

1939年44歳 「完璧な歌」「見させる」刊行。第二次世界大戦勃発。

1940年45歳の時、パリ陥落。「開かれた書物Ⅰ」刊行。翌年、ナチスソ連侵攻。

1942年47歳 詩集「開かれた書物Ⅱ」小詩集「詩と真実1942年」刊行。この小詩集に「自由」という詩も含まれていてたちまち、抵抗市民たちの愛読書に。一躍有名人となったエリュ君は地下活動に入る。この頃、共産党に再び入党。

1943年48歳 エリュ君の小詩集「詩と真実~」は英国空軍によって落下傘で被占領地区にさかんに投下。同志たちに大きな勇気を与えた。

1944年49歳 詩集「ドイツ軍の集合地にて」刊行。パリ解放。

1946年51歳のとき、ヌーシュ死亡。

1947年52歳 詩集「記憶すべき身体」刊行。なんかほんま、タイトルだけで釘付けになるなあ。翌年、詩集「政治詩篇」刊行。

55歳の時、チェコの作家の死刑判決に抗して、プルトンからエリュ君に介入を頼まれるも拒否。これ、もっと知りたいなあ。

1952年57歳 心臓発作で死去。

フランスといえば鹿島先生とEさんしか思い浮かばない私。本日はそのEさんも折に触れて、話をしてくださり、へぇーーー、ふむふむとうなづくばかりであったとさ。

そんな貴重なポエカフェに幕張のライブ会場から駆け付けたという強者がいた。その名は・・・フットワーク軽すぎっ!

私が朗読した詩は、エリュ君に失礼なこと(かも?)を連想させる「すこしやつれて」

悲しみよ さよなら

悲しみよ こんにちは

冒頭の2行である。もうお分かりですね、斉藤由貴の歌が以後、頭の中を・・・

めぞん一刻」の主題歌でした。お分かりにならない方は平成生まれってことで・・・。動画で「悲しみよ こんにちは」を聴いてみてください。

でもこの詩、なんでタイトルが少しやつれてなんでしょうねぇ。いっそのこと「悲しみよ さよなら」としてほしかった。最後の1行がとてもいいもの

悲しみよ うつくしい顔よ。

 

参加者全員で順番に朗読した「自由」

21連くらいあるんだけどその1連ごとに最後、必ず君の名を書くというフレーズがでてくるのがたまらなくいい。

最後の章だけは

一つの言葉の力によって

僕の人生は再び始まる

僕の生まれたのは 君と知り合うため

君を名ざすためだった

 

自由、と。

全文は掲載しないけどこの詩だけでも読んでほしい。

私が一番気に入った【君の名を書く】章は冒頭だ。

学校のノートの上

勉強机や木立の上

砂の上 雪の上に

君の名を書く

この詩だけは紙に書いて持ち歩きたい、暗記したい、そう思わせる詩を知ることができ、このポエカフェに感謝して今回は締めます