古書ますく堂のなまけもの日記

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ポエカフェ エミリー・ディキンソン篇

募集して3日くらいで満席になり、追加席まで出したという今回のポエカフェ。

今日のおやつがこれまた旨い。思わずベスト3や!と最後に叫ぶおいしさ。横浜「浜志まん」のボストン・クリームパイ。

エミリー・ディキンソン 1830年12月10日マサチューセッツ州アマストの旧家に生まれる。兄と妹の3兄妹。父エドワードは弁護士で州議会や連邦下院の議員も務めた名士。威厳を重んじて保守的な人物、母ノークロスは病気がちで静かに過ごしていた。祖父サムエルは正統なキリスト教大「アマスト大学」やアマスト・アカデミーの創立に大きく貢献した。

1840年10歳 妹ラヴィニアとともにアマスト・アカデミーに入学。17歳の8月卒業。1847年17歳、9月マウント・ホリヨーク大学(アメリカさいしょの女子大)に入学するも翌年退学。信仰告白を要求され、エミリーにはできなかった。彼女の家族は全員、信仰告白し、学校側の圧力で彼女の友人たちも次々に信仰告白したがそれでも彼女は自分の信念を曲げることはなかった。退学はこのことと関係あるのかもしれないと亀井俊介アメリカ文学者)は述べている。この頃、父の法律事務所の見習い生ベンジャミン・ニュートンより文学上の影響を受ける。

1850年20歳 ピューリタンリバイバル運動により、この夏、多数の人や父も信仰告白。エミリーひとり、抵抗を続け、世間から白眼視された。彼女のこの強さはどこから生まれてきたのだろう。何によって育まれてきたのだろう。

1855年25歳 父、妹とフィラデルフィアへ。滞在中、尊敬し、恋したとされる牧師チャールズ・ワズワースに出会う。

1858年28歳 この頃より、自作の詩の清書を始める。

1860年30歳 ワズワース牧師が訪ねる。本格的な詩作開始。父の友人でのちにマサチューセッツ最高裁判事のオーティス・P・ロードを知る。彼もまたエミリーの恋の相手とされる。翌年、南北戦争勃発。

1862年32歳 4月15日批評家のトマス・ウェントワース・ヒギンソン(ユニテリアン主義の聖職者、作家、奴隷制廃止論者、軍人)に自作の詩4篇同封して手紙を送り批評を乞う。以後、彼との文通は生涯、続けられた。

エミリーの詩は非常に風変わりだったり独創的で当時の常識的な詩の主題や内容とは異なっていたため、良い詩とは認めつつ、ヒギンソンからの積極的な評価は得られず。6月にヒギンソンからの便りで「本の出版はまだ難しいから少し出版を遅らせた方がいい」と告げられる。3通目に出した手紙で「出版することは縁なきこと」と綴り、この時点で詩集を出版することを半ば諦めたようであった。時代が追いつけずに生まれたのが早すぎたのかもしれないエミリー・ディキンソン。だがあの時代だったからこそ、彼女の反骨精神が際立ったのかもしれない。

この頃までに終日白いドレスを着て家にひきこもり、誰とも会わない隠遁生活へ。家族が心配し始める。この年より、翌年にかけて眼を痛め、一時、失明をひどく恐れる。友人たちと、眼と耳、どっちがなくなったら嫌かという質問をされたことを思い出す。

このドレスの白は何を意味するのか。喪服の黒ではなく、まっさらな白。固定観念にとらわれず、何物にも染められる、変えていける白。もしくは自分というものを守り通すための白なのか。

1870年40歳 8月16日ヒギンソンが彼女を訪ねる。この面会について、「これほど神経がすり減る人と話したことはない」と数日後、手紙で妻にもらしていたヒギンソン。

面会といっても対面したのではなく1階にいるヒギンソンに2階の部屋からドア越しに会話していたらしい・・・

1874年44歳 父急死。翌年、母が脳卒中で全身麻痺、エミリーが世話をする。

1877年47歳 P・ロードの妻が亡くなる。この後、ロードと一時恋愛関係に。80年代の初めには結婚について話し合ったと言われる。

1882年52歳、ワズワース牧師死去。母も死去。

1884年54歳、3月ロード死去。6月14日エミリーが過労で倒れる。時々、こうやって日付まで分かっているのは彼女の書簡から分かったことなんだろうか。

1885年55歳、腎臓炎悪化。1886年5月13日55歳で死去。葬儀ではディキンソンが愛誦していたブロンテの詩「わたしの魂は恐れを知らない」が朗読された。妹ラヴィニアが整理ダンスのひきだしから清書されてグループごとにまとめられた46束もの詩稿を発券する。

没後 1890年『エミリー・ディキンソン詩集』第1集が出版される。1891年に第2集、1896年に第3集が出る。

1910年代 モダニズムの詩運動のなかで詩壇から注目される。

1930年代 アメリカの文学史に取り上げられるようになる。

1955年 トマス・H・ジョンソンが丁寧な校正を行い、原文をそのまま再現することにつとめた「エミリー・ディキンソン全詩集」が出版される

隠遁生活が長いせいもあるだろうけど、謎の多いエミリー・ディキンソンの詩にうつります。こちらも意味深なものが多くて、じっくり何度も読まねばと思うものが多い。

今回のテキストでは同じ詩で違う2人の訳が掲載されていて、朗読はどちらかでよいとのこと。ディキンソンの詩はどれもタイトルがない。英語を読めない自分がもどかしくて、仕方のない夜となる。

67 成功はすばらしく思われる

  いちども成功しない人たちには

  蜜の味がわかるには

  はげしい飢えがいる

  略

これは新倉俊一訳。亀井俊介訳とくらべてみて、一連目が気になったのでこちらにした。とことん自分を飢餓状態に追い詰めないと高みには上りつめられないよと叱咤激励してくれているのだろうか。

 

136 あなたの小さな胸に小川をお持ちですか 略

この詩のこの一行目がもう語りかけているようで、こんなことを手紙で送られたら

めちゃくちゃ嬉しいかもしれない。これは中島完訳

 

200新倉俊一訳 自然は他の色より

         黄色をまれにしか使わない

         日没のために全部それを取って置き 略

        大事に使うのだ

        まるで恋人の言葉のように

こんな風に黄色を讃える詩があるなんて。黄色が好きな私は日没のためにの一行で釘付けになり、最後の一行でノックアウトされてしまった。

 

288亀井俊介

わたしは誰でもない人! あなたは誰?

あなたもーーまたーー誰でもない人?略

まっぴらねーー 誰かであるーーなんてこと!略

ディキンソンは実にダッシュ記号を多用する詩人で、眼でみたときと朗読するときでは

読むものに与える影響が違うような気がする。

この詩の中島完訳も面白い

288 私は名前なし あなたは誰? 略

    名前が知れわたるなんてほんとにつまらないこと 略

 

誰でもない自分。世界に一人だけの自分。名声なんてどうでもいい。

行動範囲の狭いひっそりとした自分の世界から強く小さく叫ぶ声が聞こえる

 

441 これは世界にあてたわたしの手紙です 略

    やさしく裁いて下さいーーわたくしを

これは亀井訳 人が人を裁く権利なんてあるだろうか。悪いことをしたら法が裁けばよい。

信仰告白をしなかったことが根底にあるのだろうか。周囲が全員、赤といえども彼女だけは違う色ですと言える強さを持ちながら、それでもやはり、好きで隠遁生活など

したかったわけではないだろう。

636新倉俊一訳 

わたしの手紙の読み方はこうです

最初は戸に錠をおろし 略

外からのノックを防ぎます 略

どんなに念入りに読むことだろう

ーーだれにも負けない位に

それから天国のないのを嘆くのです

教義が与える「天国」ではなく

 

どんぐり姉妹

https://twitter.com/dongurishimai のおかげで私はたまに彼女たちに手紙を書く。

携帯に毒され、すっかり携帯中毒になってきているがそれでも手紙もたまにはいいねと教えてくれた彼女たち。ディキンソンの詩を読んでいて、彼女たちを真っ先に思い浮かべた。こんだけじっくりと手紙を読んでもらえたら、書きがいがあるというものだ。というかこっちも真剣勝負で書かなければと思ってしまう。変に身構える必要もないけど手紙で伝えたいこと、こういうのがあってもいいなと思う。

この詩では最後の1行も気になる。彼女は今、彼女の理想の天国に行けているよね?

1126新倉俊一

おまえを採用しようか

詩人は提案された単語に言った

もっとすぐれたものが見つかるまで

候補者たちを待っていなさい 略

詩を書くとき、言葉がうかぶ。最初に浮かんだ言葉が実は一番良かったと思うこともあるけれど、100%そうかというとそうでもない。探す、ひねりだす、そんな地味で気の遠くなる作業をやり続けてこそ、創作というものは完成するのだろう。

1212 日夏耿之介訳 「生」

人曰く、

言葉は

吐くきわに亡ぶと、

その日こそ、そは

生き初むめれと

われは云ふ

636と1212の詩が好きで、ぐわっと1行目から入り込んで読んだ。

あなたはどう思いますか。言葉は出た瞬間、もう過去となる。その瞬間に死んだと捉えるのか、あるいはそこから生きていくのか。

 

今回、珍しく「エミリ・ディキンスンを読む」岩田典子(思潮社)を予習に読んで臨んだ。この本がめちゃくちゃ良かったので他にももっと読みたいなと思った。そして英語で読みたいなと切に思った次第。

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